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私は海外に生きるのを好きだった

 

 

いきなり格調高くも、谷川俊太郎氏の『散文 ー 私は生きるのを好きだった』のパクリでスタートしちゃったよ。トホホ。格調の高さは皆無でも、背だけは高いみゆまっしー今日もよろしく!

 

 え?何cmかって?おいおい、やめときな。いいかい。世の中には知らない方がいいってこともあるんだよ。お互いの幸せのためにね。

 例えばさ。ワンペアとストレートフラッシュじゃ、てんで勝負にならないから大して悔しくないだろう?問題は同じスリーカードさ。アタシはQueenで君はJack。ほんのちょっとの差だけどさ。やっぱり君の負けは負け。ごめん。多分そーゆーこと。だから君が170cm以下か180cm以上だったら教えてあげるけど、その間だったら…

このネタ忘れて今日のテーマを

…座って話そうか。ほい。

 

 

 てなわけで、火曜の日替わりメニュー・テーマ【海外生活】。今日はその輝かしい第一回目だ。なんせブログ自体が今日2日目だからな。まだまだ蒙古斑はお尻にクッキリ状態だよ(ちなみにメキシコ人も蒙古斑があったりする。これまた後日ネタ)。

 

 今後はメキシコのゲテモノ事情だとか、めっちゃ怪しい日本製モドキ家電だとか、いろいろなトピックスを語っていくにしても、今週から3回だけ、アタシの海外生活 historyにつきあってくれる?いい?悪いね。Gracias! 何?興味ない?それもありだ。今日の話はかなり個人的かつイタいアタシの挫折ロードの話になりそうだからね。他のネタでまた会おう!

 んじゃ、始めようか。

 

 

目次 

1 いつから海外で暮らしたかったのか

        ↑今日はココ

2 どのくらい海外で暮らしたのか

3 なぜそんなに海外で暮らしたいのか

 


1 いつから海外で暮らしたかったのか

 答え:小学生のときから。筋金入り・純粋培養・真性の海外生活熱望オンナである。では、時系列で見てみよう。

 

1)小学校から高校途中まで

 まだ昭和の時代である。この時代の子ども達が卒業時に回し書きした「サイン帳」。これに、好きな食べ物とか、好きな教科とかとともに必ずアタシが書いた「将来の夢」はコレ↓

 

獣医になり、オーストラリアの牧場主と結婚して、その家や近所(といっても数十キロとか離れている)の家の家畜を診て暮らす。

 

ちなみに既に中学生ぐらいで獣医の目標は増井光子さん 、進む大学は帯広畜産大学と、夢の実現に向けてのアプローチ法は妙に具体的に決まっていた、自分でいうのも何だがヘンなガキだった。

それに較べて何故オーストラリア?牧場主?訳の分からんイメージ先行型で他力本願的なこの将来の夢は、ウマが牛か羊になっただけの《いつかきっと白馬に乗った王子さまが》シンドロームである。やっだー。アタシも昔は可愛かったのね〜!ともあれ既に10代前半にして海外生活を夢見る少女だった。

 

しかし自分の数学との破滅的な相性の悪さによって最終的には理系への進学を断念。教育学部は文系・社会科のなかの地理科に進む。単なる地図フェチ。1/25000地形図で等高線をウットリ眺め、河岸段丘に心躍らせる単なる女タモリだった。

 

2)大学2年 G.ガルシア・マルケス氏と運命の出会い

彼がのちのアタシの一人目の夫だ。

 

 

 

 

というのは、真っ赤なウソである。

 

ちょっとちょっと。信じちゃった?

いやー。さすがに勘弁よー。

そりゃあ愛はあふれんばかりだけどさ。

アタシのお父ちゃんより更に11歳上よ。

直接会ったこと無いし。

会って恋に落ちちゃってたら…

ま、それもありかな。ともあれ!

 

彼はコロンビアの作家でノーベル文学賞受賞者だ。この出会い(といっても本でね♡)は後日詳しく書くとして、この時よりアタシの一貫した将来の夢はただひとつ。

 

南米移住

そしてそのまま現在に至る。

 

3)大学三年〜就職13年間 

スペインにちょっと浮気しつつ南米移住の道を探る

とはいえ、いきなり南米に行くのは物理的・精神的に遠くて無理。そこで大学3年の春、慣らし運転!と、約二ヶ月のスペイン一人旅に(初・海外旅行)。さんざん楽しみその結果、な~んかスペインでもいいかも〜💝ここでも計画は結構ガチで立てるくせに、生来の飽きっぽさと惚れっぽさ、そして根性のなさから、ころりと寝返りの術をまた繰り出す。

 

手っ取り早くスペインで暮らすためには…と、考えて考えて大学4年の就活。当時バルセロナに店があった伊勢丹を…あれ?受けたんだっけ?やめたんだっけ?忘れっぽくもあるので覚えてないが、結局行かずに日本で就職。

 

予想に反して就いた仕事が楽しすぎ、傍目からは海外移住の夢は捨てたとカンペキ思われていたのがこの頃である。その上ありがたくも夏休みが無理すれば1ヶ月は取れる夢の職場。おかげでほぼ毎年スペインもしくはメキシコ、ホンデュラスやグアテマラなどに大抵は一人、時々そのときその時で違う友人と、フラフラ行き当たりばったりの旅に行き、スペイン語のスキルアップと現地の暮らしのリズムを体感。気づくとあっという間に10年以上が経っていた。

 

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しかし実際は海外移住の道を捨てたわけではなかった。仕事と学業(仕事スキルアップのための美術短大)、旅行とフラメンコ(スペインでより楽しむための必須アイテム)の間に密かに進めていた計画があった。それは…

 

海外青年協力隊だ。

 

中南米の要請は多い。実際大学・地理科の同期はあっさりホンデュラスに派遣された。スペイン語ではアドバンテージあるアタシも、これに乗っかって2、3年現地に行って、その間に現地でコネクションを作り、アタシはそのまま現地に残って、さあ、めくるめくウハウハ南米生活を…ウヒヒ。でもダメなら職場に籍は残して置けるんだし。ゴメン違った。テへ!で戻っちゃえばいいや。ケケケ。

 

ヒトは懲りない。変わらない。

アタシの他力本願的・妄想未来予想図は、アタシの身長なんざ、鼻くそポイっ!な勢いでムクムクムクムク肥大し続けるも、そんなヨコシマで自分本位の臭気がきっとアタシから立ち登っていたのだろう。現地のお役に立ちたい気持ちがあったのも、甲状腺の病気持ちというマイナス要素もあったのも事実だとしても。ともあれ。

 

受けては落ちるを繰り返す。

 

まあ今までがトントン拍子に来すぎていたのだ。要領と帳尻合わせだけに長けた器用貧乏なだけなのに、自分はいつでも願いさえすれば叶うと思い上がっていたアタシの鼻っ柱は見事にへし折られ、私のご都合主義な海外移住計画の夢は、バブルといっしょに弾け、鼻ちょうちんパツンっ!となった。

 

他力本願はなにも生み出さない。

なにも変わらない。

変わりたいんでしょ?

南米移住が、夢なんでしょ?

寝てみる夢で終えたくないんでしょ?

なら、することは一つ。

 

言い訳も逃げ場もなしで

自分が変わり、自分から動くこと。

 

 

そして。

アタシは退職した。

 

勢いで買っちゃってた渋谷のマンションを売った。洋服・家具…あらゆるものをガレージセールで売った。残った荷物は実家の自分の部屋に押し込んだ。

 

そして、36歳のまさに誕生日。私は成田からメキシコ行きの飛行機に乗った。メキシコから徐々に南下して中南米諸国をまわり、最終的な私の定住の地、私のマコンド(ガルシア・マルケスの作品に度々登場する架空の町)を見つけるために。

 

そんなアタシを空港で待っていてくれたのはCだった。

 

そう。彼が、本当の一人目の夫。

 

 

 

 

 

 

 

 

だ~か~ら~違うって!

これも真っ赤なウソ!

 

 単なる友人である。でも待っていてくれたのはホント。最初のひと月は彼の家族のうちで暮らさせてもらった。彼らは本当に暖かくアタシを迎えてくれた。特に彼のお祖母さんはいつもこう言ってくれた。「ユミはこの子の命の恩人だから。」やべ。本名出ちった

 

この話はまた別の機会に。

ともかく、こうして。

私のメキシコ生活が始まった。

 

 

 

来週に続く!

 

ちなみに昨日はこちら(ブログ名・ハンドル名の由来など!)↓